|
写真集団VIVOが結成された1959年前後の写真界は、サロンピクチャーから独立した独自の映像表現をかちとった。その後、新しい表現力を高めながらも60年以降の高度成長時代に便乗した情報メディアの台頭とともに、映像の戦国時代へと突入していったのである。
そして商業写真、ドキュメンタリー写真などあらゆる価値観が相克するなか40年近くが過ぎてしまった。既成の表現(発想・技法・手法)から発展的に脱皮することによって、何か新しい時空が開拓されないだろうか。そのためにも今一度、映像に関わる一人の写真人として基本姿勢に帰ってみたい。
かつてヴォリンゲルは、荘重にして幻想的あるいは合理性・規格性のこだわらない、怪奇むきだしの呪術的迫力からなる古代文物にふれながら、「芸術史は能力の発展としてではなく意欲の発展として現われる」・・・との芸術史観を発表した。
ここで写真表現の絵画性や言語性との宿縁について述べるつもりはないのだが、ヴォリンゲルの着想は今後の写真表現を考えるうえでの結論として、まずは最初に記しておきたい。
|