写真表現の覚書
2.写真の波瀾万丈
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思えば写真はその発想や技法・手法あるいは写真そのものの考え方を、写真史をひもとくまでもまく絵画の影響下においていた時代もあった。戦前の写真界について渡辺勉は「絵画の植民地のようなものだった」と述べているほどだ。

ところが昨今の写真状況は絵画的法則からのさい帯が切れたばかりかその後産すら済んで、映像中心にその表現力を高める方向に一歩一歩確実に歩んでいる、という一般的な見方がある。
たしかに「読者をもったカメラ・マンがどんどん出てきていい」と述べた東松照明は「“私は対象をこう見た”ということを表面に出して成功した」と賛辞を得ている史実がある。この“私は対象をこう見た”と写真を提示した写真家東松照明の作家意識を少なくとも日本における写真による映像表現の元年とみることもできるのではないだろうか。

いわゆる東松照明、奈良原一高、佐藤明らによるVIVO結成(1959)の存在意義もここに凝縮されていた。しかしサロニズム写真から独立して写真の映像表現を勝ち取ってからすでに20年近い現在、写真はその表現力を高めていきつつも新たな問題をかかえているのである。

「映像でみたものをあらためて現実世界のなかにみるだけではなく、映像のもつフィクションの性格をそのまま現実世界におきかえることを誰かに強要されることによって人々は、その快楽と美とを味わいそのことで一層映像によって縛られてしまう」(江藤文夫)。

「産業社会は市民を映像麻薬常用者に変えている」(S・ソンタグ)。「写真の悪しきフェティシズム化は、映像企業に管理された写真の記号性のステレオタイプ化に原因があるのと、そうしたステレオタイプ化したコンテキストに即して撮影する側にも問題がある」(重森弘淹)。

つまり映像が操作されるために映像のもつ現実世界への通路が見失われるばかりか、映像が自らの特性を離れて「死の仮面」をもつにいたるということであろうか。それにしてもこれらの問題が提起されるにいたった大きな要因はなんといってもテレビやグラビア雑誌など、60年代に生まれた映像メディアが情報化時代に歩調を合わせたことと、それらのメディアが急成長したことによって背後を見失った映像群が、多く街に氾濫してしまったことがあげられるのではないだろうか。
1.はじめに真表現の覚書